エッセイ
  

留学生と始めたNGO−インドネシア教育振興会

 

 

窪木靖信

「子どもたちはきっと、えんぴつ1本でも喜びます」。

留学生から聞いたこの一言が、私がNGO「インドネシア教育振興会」(Indonesian Education Promoting Foundation; IEPF)を始める原点となった。
 インドネシアは、南北1900キロ、東西5100キロにわたり、大小1万3千余の島々からなる世界最大の島嶼国である。西暦2000年、私はその島のひとつであるバリ島を訪れた。

バリ島は、世界中から年間150万人の観光客が訪れているインドネシア最大のリゾート地である。バリ島は別名「神々の住む島」と呼ばれ、大小あわせて約2万以上の寺院が建ち並ぶ。バリの島民の多くは、古来のアニミズムと結びついたバリヒンズー教を信仰し、島民はあらゆるものに神を見出しながら暮らしている。そこには善と悪の両極が存在しており、独特の文化が築かれている。

私が最初にバリ島を訪れたのも、ご多分に漏れず、観光客の一人としてであった。バリ島の異国情緒あふれる自然や文化は、たしかに、耳にしていたとおりの素晴らしさであった。けれども、その旅行でもっとも私の印象に残ったのは、風光明媚な観光スポットではなく、島の子どもたちの姿であった。

 観光スポットを少しはずれると、島の子どもたちの普段の生活があった。それは、一見しただけで、日本ではもう経験できないような貧しさのなかにあることがわかった。けれども、子どもたちの表情には、悲しみや羨みではなく、むしろ日本の子どもたちには見られない、たくましさのようなものが浮かんでいた。

この奇妙な印象を忘れることができないまま、私は帰国した。そしてすぐさま、知人に頼んでインドネシアからの留学生を紹介してもらい、彼の生立ちやインドネシアの教育の現状を聞くことができたのである。

彼は、西ジャワ州の、とあるスラム街で生まれ育った。年少時代には悪に染まった時もあったという。そして、中学・高校の学費が払えなかったことを聞いた。インドネシアの学校制度も日本と同じく6・3年が義務教育だが、教育を受ける側に学費や教科書代等の支払いの義務がある。彼の父親は、彼の中学進学前に亡くなっていた。3人兄弟の長男として、市場で働く母親を支え、幼い兄弟の面倒を見ながらの生活であった。中学の頃、負けず嫌いの性格が勉強に向けられるようになり、地元の中学を上位で卒業することで、授業料猶予で高校に進学する機会に恵まれたが、教科書を購入することはできなかった。

高校時代、運良く金持ちの友人ができてスポーツや学業で競うようになり、その友人に勝てば学費や教科書を支払ってもらえる約束を取りつけることができた。けれども、兄弟の中学校にも学費を支払わなければならず、学費納入延期の条件としてバンドン工科大学への進学が校長との約束だった。彼は無事合格し、インドネシア国費留学生として日本留学も果たしたのだった。

 彼は、自国の教育の現状をこのように語った後で、次のように言った。「学校はボロボロで教科書やえんぴつ・ノートを買えない子どもたちが大勢いる。子どもたちは、えんぴつ1本でも喜ぶだろう」。

 私は、その言葉を信じ、知人などをとおして、不要のえんぴつを集めた。みかん箱3箱ほど集まったので、早速、現地の山間部の小学校に自分で届けることにした。留学生の言葉どおり、学校はボロボロ、机も椅子も揃っておらず、朝昼の2交代で授業を行うような小学校であった。そして、えんぴつを1本ずつ子どもたちに手渡してみると、満面の笑顔のお礼が返ってきたのだった。この時、私は感じた。国際協力とは、日本の不要品を貧困地の子どもたちに「あげる」という一方的でおこがましいことなのではなく、人と人の気持ちがつながることなのだ、と。

 現代の日本社会は、情報やモノが溢れ、表面的には豊かになっている。けれども、心の面ではどうだろうか。その豊かさが、かえって特に子どもたちの心の成長を妨げているように思うのは、私だけではないだろう。

 そんななかで、日本とインドネシアの子どもたちを結ぶ体験ができれば、お互いに気づくことがあるだろう。自分たちの生活を見直す貴重なきっかけになるのではないか。このように考えて、その留学生と二人で始めたのがIEPFである。私たちはインターネットを利用してインドネシアの教育の現状を紹介し、「えんぴつ1本でできる国際ボランティア」をキャッチフレーズに活動している。過去3年間で約3500人程の日本の児童・生徒と、インドネシアの子どもたちを仲介することができた。活動の多くは、日本の子どもたちが寄付品を集めるところから始まる。彼らの多くは、当初は「貧しい国の子どもたちに何かしてあげたい」という一方的な気持ちから行動を起こす。けれども、インドネシアの子どもたちとの交流が進むにつれて、考え方に変化が表れてくるのがよく分かる。活動を振り返っての感想によれば、「自分が嬉しくないことや、ただ単にものをあげるだけの活動では、意味がないこと」、「ちょっと遠い国に住んでいるだけで、同じ人間であること」に気づき考えることができたというのである。現在では、両国の生徒が互いに絵を描き、交換するという交流が始まってきている。

 実際にNGO活動をしてみて思うことがある。まず、団体の名称を見ただけではどのような内容の活動をしているのかが、特に貧困地域の住民にとって分かりにくいこと、そして、特定の宗教支援を目的とした活動が多いことである。

世界には、大小さまざまな宗教が存在しており、宗教が関わった内戦や戦争も少なくない。そして、少数派の宗教に対する支援は、しばしば改宗を目的にしている場合が多いのが目につく。貧困地域における支援は、住民にとってはありがたい良策である。けれども、一見しただけでは特定宗教の支援なのか宗教的に中立の支援なのかが分からない現状がある。そして、最初はこの上ない恵みとして感謝していた住民も、特定宗教の支援だと分かると支援から離れていく場合が多い。NGO活動の目的や趣旨はさまざまでかまわないと考えるが、このような現地住民にとって理解しづらい名称や活動は、他のNGOの活動にとって一種の障害となることも事実である。特に、貧困地域の子どもたちに対する教育支援を行う場合、親自身が十分な教育を受けていない場合も少なくない。だからこそ、一見して誰にでも分かる活動団体名が必要なのではないかと考えている。

 また、こちら側の善意だけでは意味のある支援にならず、現地の事情を十分に理解した上での支援が必要だということも、日々痛感させられる。

 インドネシアの人口約2億2千万人のうち、約9割がイスラム教徒であり、世界最大のイスラム教国であるが、国教ではない。また、公教育が充実していないため、プサントレンと呼ばれるイスラム寄宿学校が教育の中心を担う地域もあり、キアイと呼ばれるイスラム指導者がローカルリーダーとして絶対的な力を持っている。2004年に行われたインドネシア総選挙・大統領選挙からも分かるように、「政策を主張しても、聞くのは教育レベルの高い2パーセントの人々だけ」とされ、政策ではなく、お祭りムードの中、候補者の人気や組織票がものをいうのが実情である。そのような状況では、残念ながら、公教育の充実を望むことはできない。庶民のための公教育を充実させるよりは、プサントレンを充実させて地盤固めをしたほうが、選挙や中央政府との交渉に有利に働くからだ。そのような中で、キリスト教、ヒンズー教、仏教徒がそれぞれのスタイルで生活をしている。国民のほとんどにとっては、政策よりも明日を生きることのほうが重要なのである。

 このような貧困地域に対する教育支援の場合、カウンターパートと呼ばれる現地のNGOの支援が一般的だが、日本と離れた異国の地で支援をするために他者を介して活動を行うことには疑問を持っている。これも、留学生からの意見がもとになっている。いわゆる発展途上国では、腐敗政治や汚職が蔓延し、社会の仕組みが不透明である場合が少なくない。そしてNGOの活動であっても同じようなことが起きる場合が多い。現地のカウンターパートにモノやお金を送ることから支援が始まるが、それがいわゆるサンタクロース的な活動になりかねないおそれがあるのである。

インドネシアのような発展途上国では、あらゆるモノや情報に乏しい。それを補い続けなければ、支援活動自体が止まってしまう。けれども、その結果、現地では次の支援を待ち望み、日本では成果を待ち望むことになる。お互いに自分自身のために一生懸命になる場合が多く、そのため、自国の発展のための自助努力が薄れ、途上国側は消費する行為だけに終わる結果となることも否定できない。

こうした事情を踏まえ、私は、自助努力のできる人材の開発と、継続的な活動資金の確保が重要であると思い至った。そして、現地で人々に必要とされる収益事業を調査し、現地の開発に結びつく事業を模索した。

 インドネシアのインフラ整備は非常に悪く、通信ネットワーク(固定電話)の普及率は平均して約1.%と報告されている。現地では、40年前の日本を思わせる呼び出し電話(ワルテル)の利用が主流である。しかし、そのようなインドネシアにも、ユビキタスコンピューティングの波が押しよせている。コンピューターの基礎的な知識なしには、就職さえままならなくなっている。とはいえ、貧困地域ではインターネットの恩恵を受けるのは非常に難しい。多くの学校でも、電気はもとより電話もなく、IT教育は進んでいない。そこIEPFでは、ワルテルとワルネット(日本でインターネット・カフェと呼ばれる施設。ワル=ワルン=店、ネット=インターネットのこと)を組み合わせた事業で活動費を生み出すこととした。ワルネットを収益事業とし、その収益で週末に児童・生徒を対象とした無料のパソコン教室を行う。子どもたちは楽しみながら、しかし必死になって受講している。また、これらのプロジェクトを運営する現地スタッフの半数は現役の大学生だ。NGOの運営に関わりながら学費を自ら稼ぎ出す。不況で学費を払えず休学をしていた大学生がこの活動を通して3名卒業できた。雇用の少ない現地において、少しずつではあるが人々の生活を支えるシステムになりつつある。活動費を確保しつつ、現地の人々の自助意識を高めること。この課題の克服が、実りあるNGO活動のポイントではないかと考えている。

 現在、IEPFのスタッフの半数は現役の大学生である。IEPFに関わっている大学生も、最初は「貧しい途上国の子どもたちのために、何かしてあげなければ」という意識をもつ者が少なくない。情報化の進んでいる日本では、インドネシアの情報はすぐに大量に入手できる。けれども、それらの情報から大学生が学ぶのは、やはりステレオタイプの途上国の姿でしかないのである。そんな大学生も、支援活動に関わるうちに、こちらの善意だけでは現地の人々にとっての本当の支援にはならないことに気づいていく。そして、さらに詳しく現地の様子を学び知っていくにつれて、今度は自分たちの国や文化について、自分たちが実はほとんど知らない、知っていてもステレオタイプの姿でしかないことに気づいていく。このような相互の発見、相互の理解が、サンタクロース的でない継続的な活動の支えとなるのではないかと考えている。

 現地の子どもたちの教育について考えることで、スタッフ自身も育っていく。IEPFは、インドネシアの子どもたちの教育振興だけでなく、日本の小・中学生の成長、そしてスタッフ自身の成長の仲介役を、ささやかなりとも果たせればと願っている。この相互の育ち合いが、今後ますますグローバル化していく社会の礎となるのではないだろうか。

 

20077


(参考)
http://www.jakartashimbun.com/pages/analysis05.html


TOP